ローマ脱出後記

ローマの不思議

それは様々なスタイルの建築が立ち並ぶさま

時代によって区域がちがったりはするが

のぼりくだりのスロープの多い中で

中腹から下はバロック以前と古代が

ひたすら入り乱れている。

僕のローマに入った最初の印象は

「わけわからん」

だった。

単純にそう感じたのだ。

あまりにもごった煮だったからか。

Simply I cannot feel myself comfortableだった。

やがてバロックと呼ばれるものの多いのに

気がついた。

音楽で言えばコレッリの時代。

街を歩きながら

スペイン広場の階段で行われた

コレッリ指揮の御前演奏会なるものを

想像したりしたものだ。

だけど

どうも好きになれない。

というか

違和感があって

同化あるいは

親和状態になれない。

もう13年も前の話だ。

ナノに未だに同じ感じがする。

その理由は何か?

ウイーンやミュンヘン

あるいはブリュッセルの街並みを見たとき

それは単なるコンクリートの塊に見えたから

その建物の大きさには注目はしたが

街としての印象はそこまで強くなかった。

気が散らされずに

街のコアな部分に接近できた気がする。

それはイタリアの各都市も似たようなものだ。

敢えて言うならイタリアの諸都市は

サン・ピエトリーノ(石畳)になっているから

歩くのが結構大変なだけで

ローマほどの強烈な印象がない。

では何故ローマでこれほど違和感とも言える感覚を持つか?

ひとつには彫刻がめったやたらと多いこと。

つまり嫌が上にも目を引かれる。

放っておいてくれないのだ。

コロッセオしかり。

バロックしかり。

必ず自分の美的神経の網にかかるわけだ。

そうするとこちらは反応しエネルギーを消耗する。

疲れるわけだ。

もうひとつは

バロックというのは

日本人にとって一番馴染みにくいものだということ。

キラビヤカではあるものの

深みなど微塵も感じさせない。

徹頭徹尾外見を重視したものだ。

ベルニーニの彫刻は美しいが

日本人が特異とする

「自然と同化する」意識

すなわち

「対象と同化し沈潜し、深いものを探り当てる」感覚

とは拮抗する。

それが西洋のバロックではないか。

そして

日本人には

ある意味一番苦手なスタイルではないか。

禅の意識

茶道の意識

弓道の意識

武道の真髄

そう考えてみると

「カタ」=型というものを思いついた。

そうそう。

型があって

魂は?

仏作って魂は?

バロックの魂ってなんだろう?

いずれにせよ

東洋人が同化したくなる意識を

跳ね返すエネルギーを感じる。

中にいれてもらえない。

「あなた外で待ってなさい。

そこでじっとして

私の美しさを鑑賞するのです。」

ベルニーニの彫刻はそうつぶやく。

これはイヌとネコの違いにも近い。

だからネコが嫌いなのか。

ネコ=バロック???

ははは。

そうそう

だから日本人の聴衆は世界一と言われる。

世界一「対象と同化」がうまいのだ。

これは我々のコアな部分かもしれない。

バロックと拮抗することで

気がついた

日本人の特徴でした。

「横浜に新しいオーケストラを作る」と私が言ったとき、彼らは笑った。でも、私が世界のクラシック音楽の祭典で 「イノヴェーション・アワード」にノミネートされると…

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