こんにちは。
今日のテーマは
【鏡のはなし】です。
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■ 編集後記
どうも。村中です。
わたしは学校では落ちこぼれでした。
塾や剣道、ボーイスカウトも
ついていけず、途中で脱落。
幼稚園、小学校低学年、
中学、高校、大学、
いずれも協調性なしの烙印を押されて、
成績はビリから数えた方が早く、
まさに落ちこぼれ。
そんなわたしでも、
何かひとつ、
自分の強みになるものを見つけて、
指揮するようになった。
音は目に見えないよね。
だからわたしは、
目に見えることは、
極力自分の中で
意識しないようにしてきた。
もともとめちゃくちゃ眼が悪く、
視力は0.05を下回るくらい。
視力検査出来ないレベル。
勉強しすぎかって?(^^)
違うだろ!笑
目に見えないものは
掴みどころがない。
じゃあ、音楽は掴みどころがないのか?
どうかね。
そこが本日のお題ってとこ。
音楽とは対照的に
数字ははっきりするし
目には見えるから
数字は裏切らない。
そう考える人が多いよね。
でも私の個人会社の
税理担当をしてくれてる、
横浜にある
上甲会計事務所の上甲さん。
彼、暗算で計算すると、
小学校低学年から日本一だったそうな。
すごい人もいるもんだね。
彼が言ってた。
「わたし数字見てると、
そこから会社や社長さんの人柄、
考え方が浮かび上がるんだよ。」
人は「数字は裏切らない」
って言うよね。
でも数字だって、
出て来たものには
いろんな意味があるんだ。
音楽だって元はと言えば
数学から派生したわけだし
言うなれば
音楽と数字は
同じ世界の住人なんだ。
数字だって音楽と同じで
不確かなもの。
だから解釈の違いで、
意味が変わってくる。
わたし、訓練で楽譜見てたら、
いろいろな映像が
見えるようになった。
楽譜を前にして
ラジオの周波数を合わせるように
眼の前の音ではなく
音の中に入ってる「意識」に
ピントを合わせるの。
そうやって
音楽はわたしの眼の前で
カタチになる。
音が聞こえるとき
人は耳を澄ますよね。
そのとき
音が聞こえるけど
音の中の「意識」に
ピントを合わせてみたら
多分、これまでとは
違う感覚を覚えるはず。
わたしが「楽しいな」
と思う瞬間ってのがあって
それは、
別の分野の人たちと
例えば数字を扱う人と
こうして共通点が見つかるとき。
すごく興奮するんだよね。
「この世の神秘」みたいな
共通項を違う世界で見つけたとき。
それは周波数が合う
ということなんだよね。
音楽は眼には見えない。
でも、だからこそ、
人は音を聴くと
眼の前にいろいろな映像を
投影することになる。
わたし、留学時代に
ウィーンの美術史博物館にある
ラファエロの聖母子像を
つらい時とかにいつも観てたけど
具象化された絵画ってさ、
あくまで観る人に
何か伝えようとするわけ。
でも観る人が必要とするのは
実は「鏡」なんだよね。
その絵の中に自分の姿を見たい。
音楽を聴くとき
あなたは自分が見たいものを
音の中に見ているはず。
だから音楽は
あなたにとっての鏡となる。
そういう音楽を奏でることが
わたし達音楽家の使命。
わたし達が聴かせたいものを
あなたに聴かせるんじゃなく
音楽のチカラで
あなたの姿の写し鏡になる。
それこそが、わたし達の勝負。
そんな鏡のような音楽に投影された
自分の姿を聴くことができるかは
あなたの勝負だね。
そういった愉しみ方、
贅沢な時間になるよね。
村中大祐
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