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■編集後記
こんばんは、村中です。
今週は「違和感」について
お話しています。
わたしは「違和感」とはおそらく
一番強い「直観」のカタチ
なのだと思っています。
この「直観」を磨くことこそ大事です。
「直観」で判断することは
誰もが本当に欲しいスキルの一つですね。
まるで「観世音菩薩」みたいに
いろいろな角度から
物事を見通すチカラが身に付くことは
人生を非常に豊かにしてくれますからね。
世の中で起きていることは
どれもすべて
説明し尽くせないものばかり。
そんなとき、
人は勘に頼るわけです。
でも、勘は「直観」ではなく
言うなれば「直感」ですな。
残念ながら「直感」は
当たるも八卦、当たらぬも八卦。
とっても不確実なものです。
そんな「不確実」なものには
誰も頼りたくない。
私もかつては
何か重要な決断があれば
自分の「直感」の危うさを信じられず
どうしても人を頼ってしまうことが
多々ありました。
そんな不安から
溺れるものは藁をも掴むで
人に相談するわけです。
でも、実際のところ
あなたが「必要としている答え」を
誰か他人が教えるなど
できるわけないんです。
せいぜい他人さまから見た
世の中の見え方を
教わるほかにないわけで
それが本当に役立つかどうかなど
わからない。
本当に最後は
自分次第なのですね。
ここで一番の問題なのは
物事を自分で決め切らずに
人に相談する人生になること。
自分の人生は
「自分で」コントロールしなければ
本当の幸せはつかめません。
私の場合、
この「違和感」に気が付くことで
それが「人生の羅針盤」になったケースが
ほとんどでした。
つまり自分の取った行動が
間違っていると
誰でも必ず「違和感」を感じます。
感じるようにできているのです。
それを微妙に調整しながら
進むべきベクトルを変えて
あなたも私も
ここまでやって来たのです。
そうすると
それまで考えられなかったような展開、
つまり自分が予定していなかった方向や
周囲ではまず例を見ないような経験を
選ぶことになります。
つまり人とは違ったオリジナルな
人生を送ることができた、と言う訳です。
私はこれこそが
これからの時代の
ホンモノの生き方だと思っています。
つまり一人一人が
自分の人生を謳歌したり
自分の目標を達成したり
自分の人生を生き切るために必要な
とても重要な要素の一つだと
考えているのです。
私はまさに
学校秀才ではなく
「落ちこぼれ」だったわけですが
そんな私を救ってくれたのは
「音楽家になる」という一つの確信にも似た思いでした。
但し音楽の専門的な勉強を禁止されていたため
独学でピアノを学ぶという状況でした。
そんな中である日、母親に土下座して
「音楽をやらせてほしい」と頼み込んだところ
母の師匠からアドヴァイスをもらえることになり
「大ちゃん、ドイツ語をやったら?」
という言葉を頂きました。
それで「イエス・マム!」と言わんばかりに
私は外語大のドイツ語学科に入学します。
でも最初から「ドイツ語」とは
ピントが合いませんでした。(笑)
すぐに「違和感」を感じたのです。
わたし、元は関西人ですから
日頃は関西弁でしゃべっているんです。
それは私の人間としての
ある意味アイデンティティのようなもの。
関西弁の響きや流れは
私にとって自分の生まれたときから
耳元で響いていた
とても重要なファクターなのです。
あのフレーズ。あの抑揚。
これはNHKの標準語のなかには
全くありませんが
同じように
ドイツ語を勉強していくと
どうも、言葉の流れが出にくい。
フランス語を聴くと
ジュ・テーム!(愛しているよ!)
ブレブ・ダンセ・アヴェック・モア?
(私と踊りませんか?)
とか言いながら
カッコいいんですわ。
それがドイツ語だと
イッヒ・リーベ・ディッヒ(愛しているよ!)
ヴォレン・ズイィー・ミット・ミア・タンツェン?
(私と踊りませんか?)
なんですね。
それが困る。
かっこ悪いわけではないけれど
何だかガタガタして
音楽的に聴こえないんですね。
「ラテン」VS「ゲルマン」
これはもう、完全にラテンの勝ち!
これが私の「違和感」だったのです。
それで私は
ドイツ語の場所に居ながら
フランス語を学ぼうと必死でした。
ドイツ語の授業に戻ると
スゴイ「違和感」を感じるんですね。
「ああ、しまった。選択を間違えた。」
わたし、本気でそう思ったんです。
「自分にはラテン語系の言葉がラクなようだ。」
だからオレは「ドイツ語だけじゃだめだ!」
とその時に思ったんですね。
これ、いわゆる「直観」です。
つまり「直感」をつかって
即断即決した後に
行動したとしても、
人間ってのは必ず間違えることがあるんです。
その間違えた後に
いかに状況を観ながら、
自分に必要なものを選ぶか?
それが「直観」だと思っています。
ドイツ語は当時の自分には
「合わない」んですから。
そこで無理しても
本当のチカラが出ないわけですね。
それで大学時代には
フランス語とイタリア語をかじりました。
その上、英語がもっとできるようにと
ESS(English Speaking Society)の
演劇部門に入ったわけです。
それが後で思わぬ役に立ったわけです。
実際に仕事が始まったのは
ドイツ語圏ではなくて
イタリア語圏でした。
それに
英語圏でも仕事をするようになりました。
これは全く考えていなかったですね。
私英語の点数、本当に悪かったですから。(笑)
おまけにピアニストではなく
オペラを指揮するようになったわけです。
そうなると、演劇の舞台を
当時かじっていた演劇は
非常にラッキーな副産物だったのですね。
でも大切なのはここからです。
私は一度始めたことは
けっして止めません。
とにかくできるようになるまで
喰らい付く。
外語大での私のドイツ語の成績は
下から数えた方が早かったはずです。
でもその後ウィーンに行き、
ウィーンでは
徹底的にドイツ語を鍛えました。
ウィーンに入った頃には
既にドイツ語に対する
「違和感」も消えていたのですね。
全力でドイツ語を習得したのです。
「違和感」を感じた時
一端引き返す覚悟は必要です。
そして「直感」で感じたことを
行動に移して
それが間違っていた場合、
素直に自分の過ちに気付き
修正するのです。
でも大切なのは修正した後です。
行動して得た「経験」を
自分の人生のプラスに変える
努力が必要です。
私の場合はドイツ語を
ウィーンで全力で習得したお蔭で
ウィーンで学んだことの全てが
今でも自分の基礎になっています。
自分が「違和感」を感じていても
その感覚を「些細なこと」として
人はその「違和感」自体を
認めない場合が多いです。
更には自分の誤った選択、
私の場合なら「ドイツ語」を選択したこと、
そこで得られた体験自体も
否定してしまいます。
そこが人生の落とし穴のように思います。
私の場合も、何度も
この「違和感」を引きずりながら
結局は「怖れ」から
行動方針を変えずに過ごして
10年以上も自分が思うように
動けなかったことがあります。
仕事で所属していた業界に
私は大変な「違和感」を感じていました。
「おかしいな。これ何だか違うなぁ。」
そう思いながら10年以上も
そこにとどまっていたのです。
そうすると、負のスパイラルが動き出します。
打つ手、打つ手に
すべて邪魔が入るのです。
味方と思っていた人に
後ろから妨害をされるとか
いろんなことが起きるわけです。
「俺はもうこの仕事を続けられないんじゃないか?」
何度もそう思いました。
でもある日、
その業界から抜け出してみると
そこにはホンモノの自由と
豊かさが待っていました。
そして思いも寄らぬ
冒険と充実の日々を
過ごすことができるようになったのです。
「直観」とはすなわち
「直感」で行動して間違った際に
その「違和感」から生まれるものなのです。
違和感はけっしてマイナスではなく
必ずプラスに転じるものです。
けっしてないがしろにしてはいけませんね。
村中大祐
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