深い息をするということは、自由につながる、という話

今朝、リヒテルの本読んでた。
Bruno MonsaingeonのNotebooks and Conversationsって本。
Faber&Faberから出てて、英語だし
日本のアマゾンで買っても安いから。
良い本だけど、見てたら
リヒテルと一緒にチェロのナターリア・グッドマンとか
ヴィオラのバシュメットとかが出てた。
当たり前と言えば当たり前。
でも僕にとっては、ちょっと驚き。
なぜなら、その二人とも共演してるから。
特にグッドマンとは20代で共演できた。
だからちょっと特別な人。
滅茶苦茶ほめてくれたのはいいけど
演奏は自由奔放で
みんなが困るくらい自由なんだ。
そういう自由さにオーケストラが
困るくらいになれるのは
当時はちょっぴり迷惑だったけれど
考えてみれば、それが音楽なんだと思う。
逆に…
それからしばらくして
NHKの収録で日本のオーケストラとツアーをした。
そうしたら、ピアニストの人が
ベートーヴェンを演奏するのに
自分に合わせろ、と言うわけ。
もう怒っているの。笑
オーケストラも怒っている。
わたし、意味が分からないワケ。
つまり世界観の違いなんだよね。
合わせること至上主義な人もいるんだよ。
だから、それはある意味で言えば
全体主義なんだよ。
どちらが良いかは、人それぞれだと思うけどね。
点というのは、息が止まるんだよ。
そこに合わせることを
みんなで息を止めてやることが
価値となる世の中なんじゃないか。
もしそうだとしたら
それは怖いことだよ。
だから、人と違う考え方や世界を
持つことは大事なんだと思う。
どちらが正しいとかではなく。
海外が日本より正しいというのではなく。
日本が正しいというのでもなく。
そのバランスが大事で
そこで違う価値観を受け入れて
発展していくことが重要なんだと
思うんだよね。
何を良しとして
それが社会にどういう影響があるのか。
それが人の息を自由にするのか。
人の息を止めさせるのか。
そこは一つの目安になると思う。
因みに、あなたは息を止めたほうが
気持ちい良いのかな?
日本ではキッチリやることが
至上主義なんだけど
それが、息を止めないで
長い息でできるなら
それは最高のキッチリだと思う。
でも息を止めて、一点に集中することが
至上価値となる場合
それは危険信号だよね。
その辺り、あなたはどう感じるか?
あなたの属する社会は
あなたの家族は
あなたの会社は
あなたのコミュニティは
その辺りのバランスはどうだい?
むーらん
追伸:因みにリヒテルからは、
ちっちゃい頃にだいぶん影響を受けた。
彼の弾くベートーヴェンとドビュッシーの
ビロードのような音が好きだった。
生の音は本当にスゴイ音だったな。

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