From: 村中大祐
私は音楽家になるためにドイツ語を学んだが
それはそれは、大変なプロセスだった。
祖母が柳兼子師、母が笹田和子氏、佐々木成子氏に師事したお蔭で
音楽をやる、と決めた段階で相談したのが
母の師の佐々木成子師だったのは幸運だった。
佐々木成子師はこの5月に98歳の誕生日を待たずして大往生されたが、母が最初に連れて行ったのは、ドイツ歌曲を広めた貢献から、オーストリア政府から日本人で最初に勲章を授与された、この佐々木先生だった。
駿台予備校で名物英語教師だった奥井さんの夏期講習の最終日、
「男は好きなことをやるべきだ」とつぶやかれたその日の晩に
帰宅して母の前で土下座をしていたのは今でも記憶に残っている。
困った母は佐々木先生に相談したわけだ。
「だいちゃん、あなたドイツ語やりなさい。ピアニストで行くのは大変だけど、サヴァリッシュみたいに指揮者になったらいいじゃないの。」
確かに今思えば理に適っていると思うが、本人との相性ってものが語学にはあるのだ。ドイツ語は正直言って、外語大在学中、何度も選んだことを悔やんだ言語だった。
問題はいくつもあると思うが、私がもし自分で言語を選ぶとしたなら、おそらくドイツ語は選ばなかったような気がする。そのことについて、今思うと佐々木先生に相談したのは正解だった。
在学中フランス語やイタリア語、ポルトガル語の雰囲気を味わってみると、自分がいかにラテンの言葉に惹かれるかがよくわかって、正直悩んだことがある。
「関西人がここで何しとるんや」
そう思いながら、ひたすら難しいドイツ語を学ぶふりをしながら、
蝶よ花よとなりそうなフランス語の授業に出没していた。私はドイツ語の専攻の授業を欠席して、フランス語の授業に出席していたのだ。そういうおおらかな雰囲気が、当時の巣鴨にほど近い西ヶ原の校舎にはあったように思う。
総括するなら、英語は公用語のように世界中で使われる。だが、ビジネスチャンスを考えると、多くの人たちと競う覚悟が必要。比較されるのがいやなら、別の言語をあたること。海外に出るつもりなら、できた方が良いだろう。結果的に英語を使うことは多いはず。
でも英語が苦手な場合もあると思う。その時は自分と相性の良い言語を探すとよい。前回も書いたが、言葉は自分の鏡。よき鏡を得ることの方が重要であって、周囲と同じ鏡では、自分の顔がぼやけることもある。そのときに自分に合った鏡を持つことは、大きなビジネスチャンスにつながるし、自信にもつながる。人と違う鏡なら、社会的な価値も上昇するというもの。
自分に合った鏡を持つ。これ大事。
ヨコハマの自宅より
村中大祐
追伸:私のドイツ語は外語大在学中はまったくお粗末なもので、文法がある程度できた程度だったように思う。結果的にはウィーン留学の中で「外語ドイツ語卒業」という十字架を背負いながら、何とか本格的にできるようになった、というのが実際のところ。
従ってある意味私のウィーンでのミッションは、音大の指揮科に入学して指揮者として職業訓練をすることの他に、ドイツ語ができるようになることが含まれていたと思う。それこそ必死で身に着けた。でもその「必要」に迫られなければ、ずぼらな私がドイツ語なんて…相性は大事だ。
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