【世界の動きに感応するアンテナを持て!】

どうも。村中です。

 

私が英国に仕事で最初に行ったのは

今から約18年前の話。

 

当時ストラットフォード(Upon &Avon)に

私のマネージャーのマイケルが住んでいたので

彼に招かれてヒースローに降り立ったのが

最初のビジネストリップでした。

 

それからしばらくして

すぐにグラインドボーン音楽祭の話が決まり、

私は現地入りをして

田舎町のグラインドに行ったわけですね。

 

ロンドンから南に1時間半ほど電車に揺られると

そのグラインドがあります。

 

オペラ座の周囲はまったく何もない。

 

アルパカの農場とかはあります(笑)。

だから外に食べに行くのが大変。

 

車がないと不便でしたね。

 

本当に何もない場所で

オペラだけにどっぷりと浸かるんです。

 

私はそこでラジオを買って

唯一の愉しみである

BBCラジオを聴いていたのですが

そこではウィーンやローマとは

全く系統の違う音楽が流れていました。

 

北欧の音楽が多いわけです。

そしてロシアの音楽。

 

爽やかな英語に乗せて

素敵な音空間が広がります。

 

これがウィーンだと

ORFというのがオーストリア放送協会。

 

かなり重々しいです。

 

ドイツの放送局だともう少し砕けた感じがあるんですが

オーストリアは結構重い感じがあります。

 

ローマはFilodiffusione

というRAI(国営放送)の一環の

クラシック専門番組がありますが

それは朝から晩まで

古い歴史的な録音の演奏ばかりを流しています。

 

だから現代の人達の演奏は

RADIO RAI Treというところでのみ

聴くことができる。

 

ラジオっていうのは

その国その国で

傾向が全く違うのです。

 

面白いですよ。

内容はわからなくても

今ならインターネットで

無料でそのまま日本に居ながらにして

聴けますから

 

一度聴き比べてみると

面白いですよ。

 

私がウィーン滞在の時はORFのラジオも

テレビも、そのいずれもが空き時間に必ず

ヨーデルばかり流すんです。

 

もうこれが大変。

 

ヨロレヒホ、ヨロレヒホ、ばっかり。(笑)

 

だからもうシナトラとかが聴きたくなる。

その位、私たちはアメリカナイズされていますよ。

 

それが悪いわけじゃないですが

その位違う文化です。

 

日本人はヨーデルなんて聴きたくないわけです。(笑)

 

これがイタリアに行くと

意外にもレパートリーが広い。

 

彼らの聴く音楽は幅が広いんです。

結構大昔のパレストリーナから

今生きている現代作曲家まで

ラジオが網羅しているので

 

非常に勉強になったんですね。

 

ロンドンでBBCを聴くと

こちらもやはり幅が広い。

 

総じて言えるのは

イタリアとイギリスの幅は広いが

ドイツ語圏は意外に幅が狭いということですかね。

 

それが別に悪いわけじゃない。

ドイツ音楽の権威と誇りみたいなものが

やはり感じられますね。

 

ロンドンに行って幅が広がったのは

実はラジオの影響が強いです。

 

彼らが聴く音楽には

ラフマニノフやシベリウス、

エルガー、ディーリアス、ボーンウィリアムスや

ホルスト、ブリテンなんかがいて

他にも沢山の作曲家がひしめいています。

 

現代の作曲家を表に引っ張って来なくたって

いくらでも探せば

過去に素敵な作曲家が見つかるみたい。

 

そんな幅広さをイギリスには感じました。

その点ではイタリアにも同じことが言えます。

 

それは確かに私の音楽を形成する上で

大きな刺激になりました。

 

まあ、今日は専門的な話をするつもりじゃないんです。

 

この話、実は本屋の幅広さと同じなんですね。

 

ある意味その国の豊かさの象徴ってのは

やはり本屋にあると思うんですね。

 

いかに本屋が面白そうなものを扱っているか。

 

これは国によって、ホント違います。

 

そう言う意味においては

ドイツ語圏よりイギリスやイタリアのほうが

豊かな感じがするんですよ。

 

一つには言葉の親和性だと思いますね。

 

ラテン語圏の同盟みたいに

イタリアには南米やスペイン、フランスからの

翻訳ものが多いし、

あるいはハンガリーやチェコなどの

作家の本がブームになったりする。

 

イギリスは北欧やアイルランドもあるけれど

移民の作品が強いと思う。

 

ノーベル文学賞をとったイシグロさんなんて

まさにその典型。

 

まあ、私には日本を語る資格はないけれど

ハルキ・ムラカミやバナナ・ヨシモトを

輩出する日本にも

 

もう少し海外からの、つまりは

近隣諸国からの影響があっても

良いのかもしれないなぁと

思うわけです。

 

やはり、その辺りは

豊かさを左右することになるのではないか。

 

日本人は基本的に

朝鮮半島や中国大陸を毛嫌いする人が

多いのも事実ですが

これからの日本はそうも言っていられない。

 

何となく思うのですが

あまりに文化的な障壁が高すぎると

本当に得られる恩恵が多くても

それが手に入れられない危険が

あるように思いますね。

 

文化ってやっぱり大事ですよ。

 

昔の日本人にとって

朝鮮や中国は学ぶべき相手だった。

 

そこから「和韓中折衷」の伝統が

生まれたんじゃないかな。

 

そしてある時期は一生懸命

「和洋折衷」をしましたね。

明治維新とかが良い例ですが。

 

でも本来は「洋」じゃなく「韓中」だったはず。

 

茶道だって秀吉の朝鮮出兵の折に

利休が得て来たものから成り立っていることが多い。

 

学問については当時、

別に蘭学が全てだったわけではない気がする。

四書五経や論語が中心だったような。

 

今起こっている朝鮮半島の情勢を見て思うのは

少し私たちのスタンスを変えてみる必要が

あるのではないか、ということ。

 

ホント私たちはお隣の国のこと

知らないんじゃないか。

 

きっとこの話は

賛否両論だと思いますけど。

 

まあ、そこは音楽家の

アホな呟きということで。

 

お粗末様でございました。

 

今日も素敵な一日を!

村中大祐

 

◆追伸:この文章を書いたのは2018年。この時はこれで良かった。

でも、今の日本が隣国から受けている様々な挑発については、絶対に受け入れるわけにはいかない。それだけは言っておきたい。

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