【死と再生】がこれからのテーマ。

今、死と再生がテーマ。
やっと扱える気がするんだ。
10歳のころから、ずっとそこに行くつもりだった。
自分的には
1980年代に東京で味わった音の色を
40年経ってようやく再現できる
準備ができたと思っているの。
あの頃、19世紀末の色合いを
教えてくれたのは
上野で開催されたジャポニズム展とか
エゴン・シーレ展、
そして
出来上がったばかりの
サントリー・ホールの光だった。
あの光は東京で一番カッコよかった。
どこか別のとこで書いたけど
出光美術館のルオー展にも感激したけど
実は、光が強すぎた。
玉三郎さんが、似たような話をしていて。
日本の舞台の光は蛍光灯の光で
それがなんちゃら、かんちゃら
おっしゃってた記憶がある。
銀座で「カルメンの悲劇」が上演されて
指揮者のベルティーニがN響に客演、
素晴らしいマーラーの3番を披露した時も
19世紀末の色を感じた。
どこかのWarehouseで
渡辺謙と蜷川氏がマクベスやってて
感激したのも
光に影が差しこむ時の匂いがした。
それは吉左衛門さんの
赤坂で行われた樂焼展でも思ったことだ。
もちろんPericle Fazzini展は最強だった。
3回観た。笑
あの頃、わたしは必死に
「トリスタン」とか「クライスレリアーナ」を
弾いてたと思う。
日本はバブル絶頂。
でも、そんな社会に
私は死を感じていた。
そうしたら3年後くらいに
山一証券の話をウィーンで聞いて
絶句した覚えがある。
あの頃の日本の色は鮮やかだった。
その「鮮やかさ」の理由は
簡単じゃないけれど
一言で言うなら
実は、何でも可能になるような
橙(だいだい)のような色だった。
でも「死」と隣り合わせの
絶頂期の色があったんだと思う。
ひょっとして
あの当時の色は、
かつての元禄のころの
江戸の町の色だったんじゃないか。
今はそう思ってる。
お江戸の町のエネルギー。
それは「死と再生」なんじゃないか。
常に「死」と隣り合わせ。
それがかつての日本人の宗教観というか
生活観というか。
日本人って、ある意味
とっても「儚い」ものを
基礎にしているんじゃないか。
そんな儚さのなかで、夢を実現して来た。
違うかな。
ここで出てくるキーワードは
「アクセス」。
過去の自分たちの歴史にアクセスすると
大抵、今の日本の人たちは
ネガティブな記憶に到達すると思う。
だけど、どんな世界も陰陽両端があって
全てはおもてうらだと思うワケね。
だとするなら
元気だったころの
日本の色を想い出せばいいじゃない?
そういう色を実現できれば
パワーがよみがえるはず。
「記憶」を取り戻せ。
これは社会の話だけではない。
全く、個人にも言えることだ。
過去の記憶にアクセスして
パワーを取り戻せ!
元気がないなら
やってごらん。
チカラ、漲るから。
Muran
1人、室内の画像のようです

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