指揮を教えるとき、
私は「指揮の仕方」を伝えることはしません。
何故だか分かりますか?
基本的に指揮自体に
意味があるとは思えないからです。
指揮者はオーケストラを
リードしているように見えますが
指揮者は影響を与えることは出来ても
それはかなり限定的なものなのです。
では何を教えるか?
指揮者が前にしている音楽の、一番コアな部分
つまりエッセンスを理解できるよう
翻訳作業することが多いですね。
その時一番大事なのは、全体の設計図です。
音楽の全体を俯瞰し
カタチを知覚する能力の高さによって
指揮者の表現は変わります。
部分を見て全体が見えないとき
指揮者は音を指揮し始めます。
目の前の音を指揮する方法を教えてしまうと
人はその音に「心を掛ける」のです。
それは禅僧の言う「執着」のようなもの。
彫刻や器(うつわ)を愛でることが
何よりの音楽の訓練法なのは
これらの芸術作品が
常に「デフォルメされた全体」を
俯瞰する能力を高めてくれるからです。
私は19歳で楽美術館に行き
衝撃を受けました。
またイタリア人の彫刻家
ペリクレ・ファッツィーニの影響は大きいです。
もしあなたがそういった
分野を超えた世界観に興味があるなら
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