リュッケルトの詩(5) Der Fall Rückert ~リュッケルトの場合~

ところで

リュッケルトってどんな人だろうか?

フリードリヒ・リュッケルト

(1788年5月16日生ー1866年1月31日没)

現在のバイエルン州にあるシュヴァインフルト生まれの

ドイツ詩人

翻訳家で東洋言語学の教授

(38歳で既にエアランゲン大学の

東洋言語学教授に任命されており

53歳の時にはベルリンの同分野教授となっている。)

それ以前

1814年(当時26歳)の彼はナポレオン戦火で文壇に登場するが

その名前もリュッケルトという本名ではなく

Freimund Raimarの名で執筆を始める。

(ちなみにフライムントとは発言の自由=Freemouthを意味する)

1816~17年にシュトウットガルト新聞の編集に携わり

1818年にはローマで殆ど一年を過ごし

続いてウイーンに渡り(1818~19)

そこで東洋学者のヨーゼフ・フライヘア・フォン・ハンマー・プルクシュタール

と出会うことになる。

驚くべきはその語学能力であり

英語のBiographyで見る限り30余りの言語に精通していたとあるが

イタリア語のBiografiaによると

ヨーロッパ言語も含め44ヶ国語を自在に操ったというから

驚きである。

ちなみに私は学生時代アメリカ人のイエズス会神父が

古文漢文を読みこなすことを知って驚いたが

それと似たような驚きかもしれない。

アラビア語、アラム語、アゼロ語、アルメニア語、コプト語、クルド語

エチオピア語、ヘブライ語、ハワイ語、ヒンドウー語、マレー語、

マレーシア語、ペルシャ語、パリ語、パストウー語、プラクリト語、

古代サマリターノ、サンスクリット、シリア語、古代スラブ語、タミル語、

テルグー、トルコ語。。。だそうである。

(上記参考文献はWikipediaのみ。)

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