リュッケルトの詩4

マーラーのリュッケルト歌曲集に収められた

Ich bin der Welt abhanden gekommen

という歌曲について書いてきた。

従来の翻訳では

例えばHimmelという言葉を

そのまま「天国」と訳している。

でもHimmelとは「空(そら)」という意味が

むしろ一般的。

in meinem Himmelとは

「わたしの天空」

すなわち

「わたしの世界」と解釈できる。

あの世ではない

ひっそりと静かに

喧騒を離れて見つけた

己の隠れ家なわけだ。

作曲家マーラーが

指揮者としての雑事に追われることなく

思う存分「自分だけの世界」である作曲に専念し

愛する者に囲まれて暮らす

マーラーはリュッケルトの詩のなかに

自分の姿を見つけたのではないか

逆に

詩のなかのich

つまり主人公が既に死んだと考えたいなら

その理由は以下のとおり。

この1901年の夏にマーラーは

交響曲第5番と

同じリュッケルトの詩による

「亡き子を偲ぶ歌」を書いている。

(注:3曲のみ。他2曲は1904年に作曲)

交響曲第5番が「葬送行進曲」から始まり

「亡き子」を作曲したことを考えれば

「死生観」を扱い続けた夏ということになる。

上記の歌曲においても

同じその死生観を

描き続けたと言えなくはない。

もう一度ナタリー・バウアー・レヒナーにご登場願おう。

Nachdem Mahler schon seine heurige

Ferienarbeit abgescholossen hatte,

um die letzten paar Tage der Erholung zu widmen,

ergriff ihn noch die Komposition der letzten,

gleich anfangs geplanten,

aber zu Gunsten der Symphonie liegen gelassenen

Rückertschen Gedichtes:

” Ich bin der Welt abhanden gekommen”.

(出典:Gustav Mahler Leben und Werk in Zeugnissen der Zeit

von Herta und Kurt Blaukopf)

夏の休暇も終わりに近づき

交響曲の作曲に余念のなかったマーラーが

ここ数日疲れを癒そうとするなかで

実は一番最初にとりかからんとして

シンフォニーのため後回しにしていた

この歌曲の作曲意欲が

俄然沸いてきたのだ。

オーストリアの夏

長期休暇の終わりに

それまで喧騒から離れていたはずの

マーラーの心に何がよぎったか。

それを想像するためには

こうして訳を試みるのも

意味があったと言えるのだろう。

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