責任の所在

僕らは、当たり前のことが
当たり前のように
出来なくなった世の中を

世の中、そんなに甘くないとか
言って生きて来た。

或いは

綺麗ごとで世の中は生きられない
とか

長い物にはまかれろ
とか。

出る杭は打たれるとか
抜かれるとか。

いろいろな「言い訳」があるんだ。

でも本当にそれで良いのか。

それで良いなら
そう言い続けて生きていけばいい。

でも、それが嫌なら
変わればいいだけだ。

変えられない、と言うだろう。

でも自分が変わらないと
なにも変わらないし

自分が変われば
どういうわけか
世の中が変わる。

その、つまりだな。
自分がほんのちょっと変わるだけで

どういうわけか
世の中が変わるということ。

それを自分が感じれば良い。

その「ちょっと」が
ちょっとじゃない、ということ。

これを教えるのが教育なんだと思う。

日本の教育で
このことを教えなかったのには
訳があると思う。

それは、教える側が
変わることを怖れたためだ。

教育というのは
社会がするもので

親が教育し
学校が教育し
社会がマスコミを通じて
教育するんだ。

その人達がみんな
変わることを怖れている。

しかも、教わった側、
つまり私たち全員が

教える側の責任にして
変わろうとしなかったから
変われなかっただけだ。

自分がちょっと変われば
社会が変わることを
知っている人も多いはず。

そんな体験を増やして
ひとつひとつ
積み上げていけば

別に無理なく
この消極的な国も
どんどん未来に向けて

変われるはずだと信じている。

だから、先ずは自分がちょっとだけ
変わるように努力してみようと思う。

そうすりゃ
多分、世の中が変わってる。

いつの間にか。
気付かないうちに。

人の責任は関係ない。

責任はすべて「わたし」にある。

むーらん

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