【知るを知らないことは知である、という話】

音楽ファンの方で
自分が「知っている」ことを
示そうとする人が多いため

演奏する人たちは
結構それに
ウンザリしてるもんだ。

昔からよく
そんな話しを
有名な音楽家の口から耳にした。

昔、テレビを見ていたら
ある番組で
マーラーの交響曲第9番の
話しをする人がいた。しかも、
民放のゴールデン・タイムだ。

音楽体験を語るのは
確かに楽しい。

録音マニアで
音楽マニアだった私も
そうやって

ホロヴィッツ のチケットを
銀座の鳩居堂前に雑魚寝して
買い求めたから、分かる。^_^

学校を遅刻したら
NHKのニュースに映っていたらしい。笑

マーラー9は
みんなが好きなバーンスタインより、ベルティーニの演奏の方が好きだったから

イスラエル・フィルの来日公演
行かなかったけど。

さて、そんなマーラー9。

みんなが感激するのは
最終楽章。

この第四楽章を語るのに
「死と生」みたいな言葉を使うと、形になる事を知る人たちは、

ヘーゲルは弁証法
マーラー9は死と生

みたいに語って見せて
それで済ませている気がするが
違うかな?^_^

政権発足すれば
経済再生を目指す、と言えば
誰もが納得すると思うのに
似てる気がするのは
わたしだけだろうか。^_^

でもマーラー9には楽章が4つあるわけだ。

演奏会に行けば
最初の3つは寝ていて
最後になると起きて聴く

みたいな人も、もしかすると
いるかも知れない。

そんな人にも
興味が湧いてくるような
話しをすることって

大事だとわたしは常々
思ってきたわけだ。

基本的に楽譜には
音符しか書いてないから

言葉の入り込む余地は
無いように思うかも知れない。

だけど、実は
楽譜にも
ちゃんと言葉は書いてある。

それがアダージョとか
ロンドとかいうやつなのさ。

カタカナ表記だと
イメージがわかないのは
当たり前で

私も昔はこれらの表記を
全く意に介さず

音楽は精神の流れだと
嘯いていた10代があった。

でも、音楽に関しては
最初のページの一番上の
二つの表記だけで

それだけで
世界は一変する。

それって
結構凄い発見なのだ。

Andante comodo

第1楽章にある表記。
これを単なる
速度表記と思うなかれ。

誰が過去にこんな「変な」表記を書いたというのか!

誰もいやしない!

モーツァルト以来
多分初めてのことだろう。

これをカタカナにすると
アンダンテ・コモド

コモドって何だ?
アンダンテって何だ?

そうなるわけよ。

第3楽章の表記。

Rondo-Burleske
Allegro assai. Sehr trotzig.

トロッキーとか登場しない。笑
トロッツィヒだ。

感覚的にburlaがわからないと
ブルレスケは理解出来ない。

R.シュトラウスにも素晴らしいブルレスケがあるが

でも、それとも違う。

例えば、ヴェルディ80歳の名作に「ファルスタッフ」がある。

Tutto nel mondo e’ burla

これが感覚的に分かるようになったら、マーラー9が聴こえてくる。

知識だけで理解したつもりになると、自分の生きた体験とは繋がらない。

それを、自分の人生と繋げることが出来れば、音楽とは、この上なく人生を豊かにしてくれる。

分かったつもりにならないこと。

そう書くと、自分のことを言われた気分になる人も多いはず。

でも、そうやって、ホントに深い、でもシンプルなものを、みんなが見ようとしてこなかっただけだ。

知識に頼るばかりで、ホントの話しができなかったのは
わたしたち、音楽家の責任。

因みに山田耕作氏が
日本人の音楽家のステイタスをあげようと奮闘していた。

山田耕作氏に育てられた
朝比奈隆氏や團伊玖磨氏は

音楽を、けっして単なる知識として扱わなかった。

むしろ音楽を生きた教材として、あの「パイプのけむり」も生まれたはずだ。

音楽とは知識を追えば
どんどん複雑になる。

でもその先にある
シンプルな真実は

楽譜の始まりに書かれた
ほんの数行の言葉が
雄弁に語っていると思う。

むーらん

追伸
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