わたしの思う自由の本質

大人になってみて思うことだけど
私は割合と早くに
父親を亡くしたので
はやく大人になりたかったのね。

そうなれば、もっといろいろな事が
分かると思ったから。

だけど、大人になるって
いろいろな事が
分かっちゃいけないんだね。

分かったことを
言葉にすると
人を傷つけてしまうし。笑

多くの場合は
「都合が悪い」みたいね。

本当のことを
言ったらいけないとか、ね。爆

殺される場合もあるし。笑

この世の中が
今、変わる兆しがあるんだって?

淡い期待は要らないな。

正直言って
塵やあくたに塗れても
別にどうってことないくらい
強くなったもんな。笑

そういう、嘘や誤謬
誤解や嘲笑、
そういった奴をものともせずに
生きていくだけのチカラを
養うために
これまで
生きて来たんじゃないかな。

結構、強気な
発言ではあるものの
そうやって
考えられるようになったのも
進歩かもしれないと思うわけで。

人によって
もたらされる喜びも
人によって
もたらされる哀しみも
いずれも生きている証と
思えるようになるには

それなりの
時間が必要ということなのかも
しれないね。

Life is Beutiful?
I agree…
But , to tell the truth,
it seems like hell
for the first glance.
If you go along with it,
you suffer and
sometimes with full of joy,
you come to understand
one important concept of life.
“Your Life will follow you
exactly as you command…”
You are watching your life
as you command.
Then
here comes a question to make.
Do you know
how to command your life?
Is your life obeying your command?
Are you realizing the results
as you want to see them?

自分のチカラを知るための
プロセスって
一番大事なんだよ。

新しい時代ってのが
本当に来るのなら
その時代が
どんな時代であろうとも
自分のチカラを
存分に発揮できるように
なっていたいもんだね。

みんな、
自分のチカラを知らないし。
知っていたら、
嘘ついてる暇ないし。笑

昔、葉山にある
身障者の方たちが
働いている会社に
遊びに行ったんだけど

そこで働いている人って
みんな、
楽しそうなんだよね。

理由は、
自分のチカラを使えているから。

自分のチカラを発揮できるって
本当に大切なんだけれど
他人を見て生きていると
自分のチカラの
特定ができないんだよ。

選択肢、増やし過ぎなの。
きっと。
人間って、
もっとシンプルなの。多分。

選択肢がたくさんあって
あれも、これも、って
やってると
終いには自分がどれなのか?
自分が誰なのか?
自分のチカラが何なのか?
わからなくなるのよ。

小学校から
中学に上がったとき
英語が増えるだけだと思ってた。笑

でも、増えたのは
英語だけじゃなく。
先生も違う顔をしているし
教科もたくさんあって
混乱したんだよ。
だから、私は勉強辞めたの。
一抜けた。笑
それが選択肢だった。
音楽に絞った。

その選択は
天才的だったと思う。

どんなバカでも
絞りゃー強いじゃん。笑
考えてみたら、
葉山で働いている人たちも
そうやって、
ひとつの仕事だけしてたし。

それしかできない、
んじゃなくて
それだけに
絞ったもの勝ちだと
思うんだよね。

それが自分の
本当のチカラなんじゃないかな。

Muran 

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