茶会でお話しているのは
今年になってからはリーダーシップ論だ。
FMヨコハマでは音楽についてお話できるよう
何かとテーマを決めていたのだけれど
時間も短いことから、お話する内容が限られてしまう。
それも何かと勉強にはなったのだけれど
やはり同じお話するなら、もう少し突っ込んだ話がしたい。
そう思いながら、この「音のソムリエ茶会」を始めてみた。
やってみると意外に発見が多い。
お客様をお相手に、何かと話を進めていきながら
出てくる話題は、それぞれの生き方みたいなものだろうか。
別にそれを得意にしているわけでもないし
話をしながら、互いが鏡のような役割を果たすのかもしれない。
いつしか、音楽からリーダーシップ論に。
そうやって出来上がって来たテーマなのだ。
実は海外との仕事や滞在が25年を超えていることから
意外に貴重な情報や体験をすることができていて
そのアウトプットをしなければならない時期に入っていると思う。やはりアウトプットをしなければ、次の重要なチャンスも自分の中には入ってこないわけだ。
1990年に渡欧した際、もちろんそれはベルリンの壁が崩れた直後にウィーンという旧東独よりも地理的には東側に位置する
オーストリアの首都に留学したわけだ。
当時はまだ「共産圏」という言葉があって(今はもうないと思う)、ソビエト連邦やチェコ・スロヴァキア(今は両者が独立しているが)、東独やハンガリーの影響から、ウィーンという街は完全に社会主義的な匂いを残した街だった。
それが瞬く間にドイツ資本、アメリカ資本によってガラッと雰囲気が変わって行った。
僕たち音楽家の注目は、まさにそんな状況下でベルリンやウィーンの指揮者がどのような音楽をするのか?というところに集まっていて、カラヤンが88年に天寿を全うしたのち、89年にアッバードがベルリンのシェフに選ばれると、90年にはウィーン国立歌劇場の舞台から徐々にベルリンへと移行していく様子が手に取るようにわかった。
今でも覚えているのは、アッバードのブルックナー4番、5番の録音やツアーがウィーン・フィルと行われていて、最初に見せてもらったリハーサルというのは、誰もいないウィーン楽友協会大ホールでの第4番「ロマンティック」のリハーサル。そして印象的だったのは、ホールに響きわたる天上の調べのような、最初のホルンの音だった。ヴェルディの「ドン・カルロ」は5幕版を準備していったら、始まったのは通常の4幕版の公演だったのを昨日のように思い出す。
そんなことがあって、90年にはアッバードはまだウィーンにいたけれども、ベルリンが彼を必要としていたわけだ。
ちょっと戻るが、88年にカラヤンが他界して、89年にアッバードがベルリンのシェフに選ばれると、その後壁が崩れた事実に、当時は何とも思わなかったが、実際アッバードがカラヤンの後継者として終身芸術監督としてベルリンに留まらなかった事実は、極めて大きくヨーロッパ社会から受け止められていたように思う。
その後のラッツィンガー(ベネディクト16世)がローマ法王を辞任したのもしかり。また次にベルリンのシェフとなったサイモン・ラットルも然り。そして天皇陛下が生前退位をされることになる。
別に指揮者がそこまで大きな影響を与えるとは、誰も思わないかもしれないが、日本と違って世界では、指揮者の社会に与える影響力は計り知れない。
因みに2018年、ベルリン・フィルのシェフが変わることが
正式に決まっている。つまり私たちの将来が変わる分岐点になるような気がしているのだが、あなたはどうだろうか?
そんなお話をしながら、いかに毎日の生活に音楽が重要か。
クラシック音楽というものを知らないで損をしているか?
ということをお話する機会になっているのが、
実はこの「茶会」なのかもしれない。
知らないで損をしないためにも、一度試してはいかが?
最近のコメント