昨日は定例茶会の日。
ヨコハマみなとみらいにある
BUKATSU-DOというコミュニティ・スペースで
月一回、恒例となったお話会が行われた。
「ボーダーレス時代のリーダーシップ」と言えば
表題は長ったらしいが、まあ許して欲しい。
参加者の方とお話ししながら進めていけるのは
何よりチカラになる。
アウトプットだけでなく、インプットもしながら
話を進めることに、少しずつ慣れてきたような気もする。
リーダーの存在は時代とともに変わってきたと思う。
指揮者像の面白い変遷の歴史の中に
私としては感じるものがあって
それを是非お伝えしたいと思ってきた。
でも何より皆がリーダーというものに対して
持っている先入観が邪魔をしているようだ。
そうすると大切なことを見落としてしまう。
話を聞いていても、「自分が答えを知っている」と
感じる人が少なくないはずだ。
リーダーというものは、往々にしてそういう種族でもある。
だが、リーダーシップについて語るとき
何よりも大切なのは、「新しい考え方」を
純粋な気持ちで受け入れてみること。
それができなければ、イノヴェーションは起こらない。
音楽を聴くのも同じことだと思う。
先入観で聴くのではなく
私が「指揮者の通信講座」その1でお話ししているように
自分の感性で読み取っていく。
けっしてアタマで考えて理解するのではない。
感じることだ。
そして感じることほど、難しいことはないみたいだ。
リーダーシップについての先入観で
一番困るのは
みなが「リーダーシップは個人と集団の関係性」と認識していることかもしれない。
どうしても個人と集団を前提として
話を聞きに来られる方が多いように思う。
だが、そういうリーダーシップをお求めなら
おそらく私の言いたいことが伝わらないような気がする。
村中流のリーダーについてのお話は
実は1対1.つまり個と個の関係性なのだ。
なぜか?
村中は集団が怖いからだ。
集団が怖いやつが、リーダーについて語る。
そんなバカな話があるか!
そう思われるのも当然なのだが
そうやって指揮台に立っている偶然性を
俯瞰的に眺めてみると
実はいろいろなことがわかってくる。
指揮台に立つまでの、たくさんの感覚。
何が指揮台に立たせるのか。
どういった感覚が音に結びつき
それが指揮者という形で表現されうるのか。
これをお話しするのは
私にとっても数多くの発見があり
リーダー像に新たな一ページを加えることが
できるという確信がある。
その昔、宮本武蔵が一条下り松で
多くの剣士と相対したとき
相手を集団としてではなく
個としてとらえ直し
1対1の戦法を使ったことは有名だが
まさにその考え方で集団と相対するには
どういった感覚や思考のプロセスがあるのか。
たぶんそうお話しすれば、少しは観方も変わるのだろうか。
いずれにせよ、茶会でこれから続くであろう
リーダーシップ論議。
次回のブログでその内容について少しずつ
お話していこうと思う。
今日はここまで!
素敵な一週間を!
ヨコハマの自宅より 村中大祐
p.s.そうだ!3月3日は村中大祐指揮Orchester AfiAの新譜が発売される。前回のCD録音は神奈川県立音楽堂を使ってのライブ録音だったが、この第一弾CDはすでにアマゾンなどで在庫がなくなっていると聞く。弊社ではまだ購入可能だ。音楽評論家の宇野功芳氏が生前に絶賛してくださったお蔭だと思っている。感謝。
前回の改善点として、その残響については、さらに満足のいく音響を求めて東京赤坂の紀尾井ホールに拠点を移してみたが、これは大正解だったと思う。今回の第二弾CDは、そういった意味でもまさに満足の行く出来なので、是非お手元において聴いてみてほしい。Orchester AfiAの音楽が、いかに素晴らしいか、お分かりいただけると思う。
どうせなら、クラウディオ・アッバード指揮のベルリン・フィルの1990年代の演奏が、ドイツ・グラモフォンから出ているから、聴き比べてみてほしい。その比較の結果は貴方の感性次第。でもAfiAの音楽家集団は、おそらく世界最高峰のはず。十分にベルリン・フィルと真っ向勝負ができるはず。
それを堪能していただき、「元気が出た!」と言っていただければ、私たちは報われたというもの。
緑のCDは第一弾。こちらはセットメニューでお得。
赤のCDは3月3日発売の新譜。
画像をクリックして是非詳細を見てほしい。
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