ある時、ひょんなことからロンドンでお会いした方に
「村中さん、九州に行かれるなら宇佐に行くといい」と言われ
たまたま九州は福岡の仕事帰りに
八幡宮の元宮がある宇佐神宮へとお参りしたのは今から5~6年前のことだ。
九州には恩師が住んでいる。
ブレーメン出身の指揮者フォルカー・レニケ氏だ。
レニケ先生の奥方、今は亡き西内玲先生にもずいぶんお世話になったのだが
この玲先生の顔が浮かび、なんとなくメッセージを送って来られたように感じたのは1月末のことだった。
もう他界しておられるのだけれど、ふっと彼女の思いがよぎったような気がした。
「高齢のレニケ先生はどうしておられるか。」
それで思わず九州行を決めたのだが、当のレニケ先生がどうしておられるか、近況を知る友人に尋ねてみると、
どうやら80過ぎのレニケさん、
お友達とクルージングに行っておられるとのこと。
「なんだ…元気なんじゃん。心配して損した。」
ということになり、ちょっとホッとした気分から
それでは宇佐に御礼参りに行こうか…というワケで
この週末は大分に居た。
満月が明るい建国記念日の朝
6時半のフライトで羽田から飛び、目的地、大分空港に入ったのは8時過ぎ。
あらかじめ予約していたレンタカー会社は
その日2組しかいなかった客に
「今日は吹雪が吹いていて、山間部は雪で覆われています。
高速は使えないので、下みちを走って下さい。」
と言いながらも、私たちに車をいざ引き渡す段になると、
「オタクの車はスタットレスだから、別に心配しなくて大丈夫」と言う。
つまり私たちの車だけ、どうやら雪に対処できていたみたいなのだ。
お蔭で山間部を苦も無く通り抜け、1時間ほどで宇佐神宮前に到着。
内宮、外宮とお参りするなかで
「そう言えば今日は雪降ってるから、お元山に行くのは無理だよなぁ。」
と思っていたのだが、
そこは女性の勘なのか、家内がすかさず「上るんでしょ!」と言うのだ。
女とは怖いものだ。
「うん、そのつもりだけど、まずはタクシーの運ちゃんに聞いてからにしよう」
私は正直、もう宇佐神宮本宮でお参りを済ませたから、これで良し、だった。でも家内には「できたらお元山に登りたい」と言っていたのだった。
そこで、私たちは偶然目の前に居たタクシーを呼び止めた。
「今日、上がれますか?」
外を見ると快晴だが、山の上は多分雪だろう。
「山は雪だけど、お客さん、途中まで行ってみて
ダメだったら引き返すということでよろしいか?」
と言われたら、イエスと言うほかない。
何とはなしにタクシーに乗り込み、結局私たちは
宇佐神宮の元宮のあるお元山へ向かうことになった。
宇佐から元宮の麓に行く途中には
宇佐市出光という場所があって
出光家が起こった地名だと思うのだが
実は数年前に横浜にある伊勢山皇大神宮の池田宮司とお話させて頂いたとき、ちょうどこの話が出ていたのを覚えていた。
池田宮司は伊勢山さんに来られる前は
鎌倉の八幡宮で有名な「ミツバチ」を育てていた、極めてユニークな宮司さんだ。
「出光家は長い間、宇佐の神官だった」
そんな池田宮司のお話を思い出しながら、気が付くと山登りは始まっていた。
しかもタクシーでだ。
ほとんど最初のうちは雪もなかったが、途中から雪が積もって
ひとつ間違えば奈落の底に転落するような危険満載の道中。
正直タクシーの運ちゃんが
「お客さん、こりゃあ無理だから戻ろう」
と言ってくれるのを期待して乗り込んだのだが、当の運ちゃんは一言もしゃべらず、
ただひたすら上へ上へと向かっていた。
気が付くと体中が硬直したままの半時が過ぎ、
それでも何とか無事、目的地へと到着した。
途中何度も「やめときゃよかった」と思う始末。
3人の命を云々する事態にならないとも限らない。
ひとつミスが起これば転落する怖れのある行軍だった。
車から降りると、今度は自分の足で上まで行かねばならないが、
前は雪、雪、雪。既に晴れてはいるものの
こんな山奥でひとつ道を間違えば遭難する可能性もある。
だが、その雪の中に家内が「人の足跡」を見つけた。
その足跡を頼りに、元宮のある方を目指してひたすら歩いた。
「こんなに遠かったか?」と途中くじけそうになると
「カラン、カラン」と鐘の音がする。
「ああ、着いたか」と思ったら、目の前に少し空間が広がってきた。右には宇佐の元宮。それと向かい合うように八坂神社の元宮がある。音のする方へ行くと、そこは八坂神社だった。
でも誰もいない。
家内は走って追いかけたが、誰もいなかったようだ。
そこでまずは八坂さんにお参りして参道から出ると、
宇佐神宮の元宮の前を、この雪のなか箒で掃き清める老人に遭遇した。
「こんにちは。」
挨拶をすると老人は
「今日みたいな日は誰か来るかもしれないから、滑っても困るしねえ。雪をこうして滑らないように整備しているんですよ」
と言った。
私たちは本懐を遂げた形でお参りを済ませたが
老人はまだそこかしこで掃き清める作業に余念がない。
「さようなら」
挨拶をして老人を後に残してその場を去った。
考えてみると、タクシーに乗せてあげればよかったかな、と思うのだが、そんなタクシーの今度は下り坂。
何が起こるかわからない。
もう一人の命も巻き添えにするわけにはいかなかった。
私たちには、今度は「下り坂」が待っていた。
「行きは良い良い、帰りは恐い」
とおりゃんせじゃないが、本当に帰り道も背筋ゾクゾクで
運ちゃんは必死の形相。
無事にお元山を降りると、思わず
「生きててよかった」を繰り返した。
ふと、家内が「あの御爺さん、神様だよね」と呟いた。
「目がお狐さんみたいだった。」
そうなのかもしれない。
あるいは修験行者の方なのか。
あんな山奥で、誰も来るはずのない場所を掃き清めて
「誰かが滑ったら困るので…」なんてことはないだろう。
人のかたちをした神様をみたのだろうか。
それとも隠徳を積むための修行だろうか。
山から下りると身体が冷え切っていた。
運ちゃんには御礼をして
すぐさま田舎うどんに喰らいついたのは言うまでもない。
寒さと怖さに冷え切った身体だったが
こころは満ち足りてポッカポカだった。
御礼参り。してみるもんだ。
きっとこんな不思議な体験、二度とできないだろう。
でも命懸けの強行軍になるなんて、そんなつもりは全くなかった。
思えばあの運ちゃんも、あの爺さんも、
二人とも準備されていたのかもしれない。
そう思うと、改めてご縁の不思議を感じる旅だった。
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