今日は書くことが多い。(笑)
日本人がどうやって、西洋人を超えるか。そこをずっと探って来た私。
多くの音楽家は、無意識にそこを考えているはず。
そうすると、気が付くこともいろいろ出て来るわけで。
私は10代から考えていて。
もうかれこれ40年になる。(笑)
だからそろそろ、お話してもいいかな、と思ったわけ。
東洋人は指揮とかピアノとか、みんな器用にまとめるのが
傾向なのね。
それは、その方が気持ちいいし、ラクだからなの。
つまり、ラクをしようとすれば、どうしても
そっちに、つまり「きちんとした」とか「まとまった」の方に動いてしまう。
大事なことは、そこで「どう考えるか」なわけ。
昔、理化学研究所の所長だったエライ生物学の博士から
言葉を受け取ったことがあって。
彼がウィーンで私に向かって言い放ったのは
「村中さん。私はね。常に難しい方を選んで生きて来たんですよ。」
これ。かなり大事な話だと思っている。
でも実は解釈を間違えると、エライ目に遭うの。
人間は「らしさ」を求めた方がうまくいくの。
つまり「自分らしい」とか。
そういうのを、常に忘れてはいけないわけ。
だけどさ。
東洋人って、ラクすると「まとまっちゃう」わけよ。
そうすると、面白くないんだよ。
何を言いたいんだか、分からなくなるの。
それが、どこから来るかを、40年くらい、ずーっと考えて来た結論だけど。
やっぱり、外国語だよ。
ちゃんと出来た方が良いよ。
そうすると、アタマの思考回路が
完全に変わるから。
でも学校で教わるのじゃダメ。
あれは役に立たない。
何故かって言うと、言葉って、抑揚なのよ。
その中に、リズムや音があって
それが脳に大きく影響するの。
そして、言語が違えば、言葉の組み立て方が変わり
イントネーションが変わり
論旨が変わり、もっと言えば
世界観やストーリーの作り方さえ
変わってしまうものなの。
それを体験しなければ
超えられない壁があるはずなの。
音楽は世界の共通言語と言った人がいる。
私はそうは思わない。
それは、ちゃんと「話せたなら」、という
条件付きなんだよね。
音楽で話す。
これには、時間がかかる。
歳をとったからって、できるようになるものでもない。
ある東洋人のピアニストが弾くプロコフィエフのトッカータを聴いて思ったことでした。
むーらん
追伸:彼が東洋という枠を超えるなら、それは教養によってしか、あり得ないと思ったわけです。
本当の教養ね。本当の。
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